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ドイツでサブ3 | フルマラソン3時間切りを目指すドイツ在住会社員の練習記録。とドイツ的日常。

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Posted by Taka on  | 

ボスニア旅行記(5)世界遺産の橋のある町モスタル

朝8時。サラエボ中央駅前のターミナルからバスに乗る。チケットは前日の内に買ってある。料金は片道17KM(ボスニアの通貨、兌換マルク。約1,200円相当)。3時間の道中はほぼ眠りっぱなし。到着したのは、モスタルという町。


ターミナルで、帰りのバスの時間を確認する。15時、16時、18時。泊めてもらっているY先輩にあまり迷惑は掛けられないから、遅くなる前の16時のバスで帰ることに決める。日帰りである。


お目当ての「橋」の位置を地図で確認する。先輩に借りた「地球の歩き方・中欧」が役に立つ。川に沿って行くと、だんだん土産物屋が増えてくる。多くの観光客とすれ違う。東洋人は見かけない。


歩くこと20分。「橋」に到着。


世界遺産の橋、スタリ・モスト
(世界遺産の橋、スタリ・モスト)


スタリ・モスト。古い橋を意味する。1993年、紛争で破壊。その後、2004年に再建。2005年、世界遺産登録。そのおかげでモスタルは今や、ボスニアきっての観光地だ。


世界遺産登録に際しては、その歴史的価値もさることながら文化的価値が評価されたんだとか。この地はクロアチアに近く、クロアチア人とボスニャク人が主に生活している。橋の再建は、両民族の融和の象徴だったわけだ。


橋の両端には、石造りの要塞。こりゃなんとも、絵になるわ。


橋のそばでは、団体の観光客がガイドの説明を聞いている。英語のガイドが多い。クロアチアの超有名観光地ドブロブニクからバスで3時間らしいから、ついで観光で来やすいのだろう。


地元民による橋からの飛び込みが、一種の名物になっているそうなのだが、この日は見ることはなかった。Y先輩曰く、最近観光客がチャレンジして怪我をしたとかで、自粛ムードだったようだ。


橋の上及び周辺ではスリが多いから要注意だ。かなり手練れらしい。


つづく


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ボスニア旅行記(4)とりあえず来てみたらいろいろ複雑だった件

「サラエボに1週間もいると、お墓しか撮るものなくなるよ」


Y先輩が言った。そんな場所に2年も住んで、さらに2年延長するために試験まで受けたのはどこのどなたでしたっけ、とは言わないでおいた。


僕たちは、高台に向かう急な坂道を上っていた。サラエボは山に囲まれた都市だから、坂には困らない。皮肉ではない。実際僕はとても平坦な街に住んでいるから、坂が恋しい。ランナーには、坂を思いっきり走りたくなるときが時々あるのだ。


坂の途中にある墓地に、僕はカメラを向けていた。


サラエボの墓地と赤い屋根の家並み
(サラエボの墓地と赤い屋根の家並み。お墓はイスラム様式。)


「サラエボの墓地には、紛争後にそれとは関係なく亡くなった人も相当数入ってる。だからこれを見て、『紛争でこんなに沢山の人が亡くなったのか』と感慨に浸るのは、ちょっと違うんだよね」


そういう厳密な会話ができるから、僕は先輩のことが好きなんだ。


サラエボの墓地
(サラエボの墓地。古いイスラム様式のお墓。)


高台からサラエボの街を見下ろすY先輩
(高台からサラエボの街を見下ろすY先輩。赤い屋根の家並みは、クロアチアのドブロブニクに通じるところがある。)


さて、旧市街を歩いているときのことだ。最近になって(つい先週とか)ようやく再建されたという旧国立図書館の入口に、あるプレートが掲げられていた。内容はこうだ。


1992年8月25、26日、この場所で、セルビア人犯行グループがボスニア・ヘルツェゴビナ国立・大学図書館に放火し、2万以上の本、雑誌、書類が焼失しました。


Do not forget. Remember and warn!って、最後にびっくりマークまで。どうも穏やかじゃない。このプレートの文言が、今日のボスニアの少なくともある一面を象徴しているような気がしたので、少し詳しく書く。Y先輩の言を借りつつ。


旧国立図書館に掲げられているプレート
(再建された旧国立図書館に掲げられているプレート。紛争中ここに放火したセルビア人犯罪者を糾弾する内容)


ボスニアには現在、3つの民族が共存している。ボスニャク人(イスラム)、クロアチア人(カトリック)、セルビア人(正教会)だ。1992年から95年にかけて起こったボスニア紛争とは、雑な言い方をすれば、この3勢力による独立や国のあり方を巡る戦争だった。


このプレートの文言を考えたのはボスニャク人なんだろう、ということは何となく想像がつく。サラエボの多数派はボスニャク人だし、セルビア人と名指しで強く糾弾する表現からも伺える。本当に民族融和が実現していたら、こんな強い表現使っただろうか。僕には、「まだ水に流せない」という心情が伝わってくるように思える。


Y先輩によれば、ボスニャクの特に高齢の人の中には、「Civil war(内乱)」という表現であの紛争を語ることを嫌う人がいるのだそうだ。なぜなら、そのような人にとってあれは「セルビア人による侵略戦争」だから。


一方で、当時も今も、サラエボには一定のセルビア人が住んでいる。当時は、サラエボを守るために協力したセルビア人もいたそうだ。そのような人にとって、このプレートの文言は果たして納得できるのだろうか。


銃痕の残る家屋の壁
(銃痕の残る民家の壁。ここでは珍しくない光景。)


このようなエピソードは、僕にとっては想定外だった。戦争はもっと過去のものになっていて、人々はもっと折り合いをつけていると、勝手に思っていたのだ。ところが実際には、まだまだ生々しく、人々の記憶に、日々の生活の中に、その影響は残っているようだった。


考えてみればそれもそうだ。1995年と言えば、ミスチルがシーソーゲームを歌っていた年だ。そんなに昔じゃない。もし東京に、第二次大戦のことを全く聞いたこともない人が来たら、たぶんそんな戦争があっただなんて気付かないだろう。でもボスニアは違う。かなり明示的に、戦争は訴えかけてくる。


この辺りから、僕は方向転換を余儀なくされる。明るく楽しいお気楽ボスニア旅行から、ボスニア社会科見学へ。到着3時間で、まさかこうもはっきりと突きつけられるとは。予習ゼロだった自分を恥じた。


までも、これこそが「とりあえず行ってみる」ことの効用、とも言えるかもしれない。


つづく


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ボスニア旅行記(3)サラエボに関する一般的解説

「ガイドブック的解説をすると」


そう前置きして、Y先輩は観光案内を始めた。先輩がこの街に住んで2年が経とうとしている。


ボスニアの首都サラエボに到着してから約1時間。僕たちは、新市街と旧市街のちょうど境目に立っていた。左を見れば西洋的新市街。右を見ればイスラム風旧市街。この街並みの突然の変化が、サラエボという街の面白いところだ。


サラエボの西洋的新市街
(サラエボの新市街と旧市街の境目に立って街並みを撮る。まずは西洋的な新市街)


イスラム風旧市街
(同じ場所から振り返ると、イスラム風旧市街が始まる)


もう少し詳しく言うと、この街には3つの宗教が共存している。カトリック、正教会、イスラムだ。


サラエボのカトリック教会
(サラエボのカトリック教会。新市街に建っている。)


サラエボの正教会
(サラエボの正教会。こちらも新市街に建っている。その足元では路上チェスに興じる人々。)


サラエボのモスク
(サラエボのモスクの庭。旧市街に建っている。昼のお祈りの準備に絨毯を敷いている。)


これら3つの建物は、徒歩で10分の圏内に併存している。これが、サラエボを評して「民族の融和」とか「宗教の共生」とか「コスモポリタン」とか言わしめる所以。確かに、なかなか壮観だ。


サラエボでは多数派はムスリムらしい。お昼になると、旧市街ではモスクから拡声器でお祈りの声が聞こえてくる。ちょうど今ラマダン(断食期間)中で、日が暮れると合図の号砲が街に響き渡る。(日没後は食べてもいいのがラマダン)


ボスニアのムスリムはあまり厳格ではなくて、例えば顔や頭髪を隠している女性はほとんど見かけない。もし見かけたら、アラブからの旅行者と思っていい、とY先輩。ラマダン中のくせに、日中からガンガン食べる。そのくせ、ラマダンが終わる月曜日は祝日を楽しむ。敬虔じゃないくせにイベントは楽しんじゃうところが、なんだか少し日本人と似ている。と言っても、彼らはムスリムであるというアイデンティティは確実に持っているので、やはり日本人とは違う。(宗教は?と聞かれて、仏教ですとか、神道ですとか即答する日本人は多くないだろう)


ボスニアの大衆飯、チェバブチチ
(ボスニアの大衆飯、チェバブチチ。毎日こんな食事だと、確実に野菜不足に陥るだろうな)


ボスニア風スープ
(ボスニア風スープ、名称失念。。こちらは美味い上にヘルシー。油はやはり多いか。)


旧市街を進むと、現地語で「水飲み場」と呼ばれる広場が現れる。サラエボで売られているポストカードの定番。しかしなぜここが定番なのかは、よく分からない。周辺には、「誰が買うんだろう…」的な土産物屋が軒を連ねる。こんなところも、なんだか日本の観光地と似ている。


「水飲み場」と呼ばれる旧市街の中心
(「水飲み場」と呼ばれる旧市街の中心。右側に見える緑の円形屋根の小さな建物が、なぜかサラエボ観光の定番。謎だ。)


旧市街を走る路面電車
(旧市街を走る路面電車。「水飲み場」のそばで。)


ちょっと中心地を離れれば、欧州の旧社会主義国に多かれ少なかれ共通する、すすけた街並みが広がっている。廃墟、落書き、暗がり、そういったもろもろ。でも治安は案外いい。普通に気を付けていれば大丈夫。たぶん、スペイン辺りの観光地の方がよっぽど盗難の危険性は高い。


これがサラエボの外観。決して風光明媚な街ではないけど、興味深い街だ。


つづく


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ボスニア旅行記(2)サラエボに住む先輩について

「遅いよ出てくるのが」


空港まで迎えに来てくれたY先輩の、第一声がそれだった。久しぶりに会ったにしてはあんまりな挨拶だったけど、確かに同じ便の乗客の中で僕が一番最後だった。トイレに行っていたのだからしょうがない。


「ようこそサラエボへ」


今さらの歓迎の言葉に、感動もひとしおだ。


Y先輩は大学時代の2つ上。約2年前から、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに住んでいる。たぶん先輩がいなかったら、ボスニア旅行を思いつくことすらなかっただろう。


サラエボには20人ほどの日本人が住んでいる。そのほとんどが大使館職員とその家族で、Y先輩もその一人だ。毎日具体的に何してるんですか、との問いに、「新聞読んだりしてボスニアで日々起こっていることを情報収集して、日本にレポートしている、と先輩は答えた。よくは分からないが、大事な仕事なのだろう。


「どこに行きたい?」


完全なるノープラン。


「サラエボ観光はすぐだよ。何なら今日の午後で終わる。」


じゃあ、今日はそれで。


こんな感じで、1週間のボスニア旅行は始まった。日曜日の12時だった。


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ボスニア旅行記(1)長くてかっこ悪い前置きと、結論

1週間ほど、ボスニアを旅してきた。その旅行記を書くにあたっての、長くてかっこ悪い前置き。


始めに断わっておきたいのだけど、僕はボスニアが好きだ。好きになった。これを読む人にも、できれば好意的な印象を持ってもらいたいと思って書いている。ただいかんせん、面白おかしい事件もなければ、感動の出逢いと別れもない。いささか平凡で、淡々とした・・・精一杯ポジティブに形容すれば「静ひつな」旅行記になると思う。


たぶんこれは、ボスニアという国自体が「静ひつ」的性質の国であったことに起因している。僕の目にはそのように映った。少なくとも、熱狂的だとか情熱的な国という形容は似つかわしくないように思える。その空気にあてられた僕も、どちらかと言えば終始「静ひつ」的精神状態にあった。


もう少し直接的に書こう。ボスニアの「静ひつ」さの正体は、死だ。


この旅を決めたとき、同時に僕はテーマを決めた。決めた、というと大げさだ。ただひっそりと、思った。ボスニアの元気な側面を見てこよう、と。過去の悲惨な出来事の上に立ち、今を生きる人々の力強さを見てこよう、と。それは、発展途上国の子どもたちの笑顔が飛び切りきらびやかであるように、何か特別な輝きを見せてくれるに違いない、と。


今思えばこの発想は、紛争が既に「歴史」になっているという前提の上に成り立っている。人々は多かれ少なかれ過去にけりをつけた。民族は融和した。宗教は共生している。そういう前提。


でも実際は、ものごとはそんなに単純ではなかった。ふた昔ほど前に起こったあまりにも沢山の死は、まだ「歴史」と呼ぶには生々しく、そこに目を向けずに今日のボスニアを語ることなどできないのだと悟った。


これが、僕のボスニア旅行記の前置きで、ある意味では結論だ。


つづく


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ボスニアにランニングシューズを持っていかない理由

ボスニア旅行記出発編。


ただいま空港にて搭乗待ち。ミュンヘン経由、サラエボ行き。搭乗まで、2時間。


***


旅は身軽に、が信条。旅行カバンにはTシャツ6枚、下着6枚、ズボン2枚、タオル1枚。カメラと小説と傘。歯ブラシ、ひげ剃り。


ランニング道具は全部、置いてきた。それなりに断腸の思い。


ハムストリングの肉離れから、今日で6週間。いまだに違和感が消えなくて、走れていない。


でもよーく考えたら、去年の秋もそうだった。


2013年10月、ケルンで初めてのハーフマラソン。そして2週間後にナイロビでハーフ。そのあと2ヶ月の完全ランオフ。


その時は、車の軽い事故で、脚を痛めて。


1月2日からまた走り始めて、4月末に初フル。


2ヶ月ランオフからの4ヶ月トレーニング。それでサブ3.5獲れたってのは、この上ない自信。今の僕には、不安を払拭する最大の材料。


だから、焦らない。


まだ6週間しか経ってない。しかも勝負レースは来年の4月。


余裕のよっちゃん。


というわけで、あえてランニング道具は持っていかず。「念のため持って行って、気が向いたら走る」という選択肢さえも排除。


無理しない。させない。療養専念。(ストレッチと軽い筋トレはok)


***


着いてからの行程は、現地で情報収集して決める。友だちを頼れるからこそ可能な無計画旅行。はっじまっるよー。


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旅について語るときに僕の書くブログ【一週間ボスニア行ってきます】

記事タイトルは、レイモンド・カーバー→村上春樹→ワタナベさん→Taka、というオマージュの連鎖。


さてさて。


この日曜から土曜まで、6泊7日でボスニアへ行きます。


ボスニアってどこやねん。なんでボスニアやねん。って感じですよね。


正直、僕もよく分かりません。いや、場所はまあ分かりますけど。バルカン半島ね、ぐらいで。あと、民族紛争のイメージ。でも実際どんな人々が住んでいるのか、どんな文化なのか、宗教は?経済状態は?治安は?全然ピンときません。


だからこそ、面白い。


知らない土地で、初めての体験に心を震わせる。それこそが、旅の醍醐味ではないでしょうか。


なーんて。


実は単に友達に会いに行くだけなんですけどね。


ボスニアで仕事をしている大学の先輩がいます。もうすぐ日本に帰ってしまうそう。その前に会いに行こう、と。


先輩がいなかったら、たぶん一生訪れなかった国だろうな、と思います。また、先輩がもしロンドンとかパリとかに住んでたら、わざわざ今訪れようとは思わなかっただろうな、と思います。


そんな巡りあわせに感謝しつつ。


去年の秋、ケニアを訪れたときもそうだったな、なんて思い出したりして。


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ケニアの首都ナイロビで働いている友人は、来週日本に帰ります。ケニアにはまたいつか行きたい。マサイマラ・マラソンという、サバンナのど真ん中を突っ切る大会があって、ひそかに狙ってます。なにやらエイドの給水がレース途中で尽きるという超絶運営水準らしいwそしてひたすら地平線に向かって走るっていうw話のネタとしては最高でしょう。


何はともあれ。


今回のボスニアも、友達に会うという1点以外完全ノープラン。今日航空券購入。あさって日曜出発。ガイドブックもない。どんな観光地があるのかも知らない。友達曰く、山か川に行くのがいいらしい(曖昧か)。何が起こるか、楽しみです。


一応治安情報だけは確認→外務省安全ホームページ:ボスニア・ヘルツェゴビナ。全域で「十分注意してください」レベル。友達曰く、普通に注意してれば、散歩やジョギングしても大丈夫らしい。


ちなみにケニアは最近テロが活発化。「渡航の是非検討」と「渡航延期勧告」エリアが去年秋より増えているようです。→外務省安全ホームページ:ケニア


ケニアの首都ナイロビはボスニアと同じ「十分注意」エリアではあるけど、実際は昼間でも不用意に出歩くのはNG。観光客は強盗の標的になります。


あれ?ほんとに旅情報ブログっぽいぞ?(迷走してんなー最近)


という訳で、来週はボスニアからお届けするかもしれません。お楽しみにー。


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デュッセルドルフ水曜競馬どうでしょうデー

デュッセルドルフの競馬場では、ときどき平日の16時ぐらいから21時ぐらいまでレースをやっている日があります。今週水曜がその日で、会社の先輩に誘われて行ってきました。先輩はこの日のことを「水曜競馬どうでしょうデー」と呼んでいます。


IMG_0619.jpg
家族連れも多く、ピクニック気分。平日なので空いてます。


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パドックが近い!


IMG_0622.jpg
コースも近い。


IMG_0623.jpg
5レースに10ユーロ投入。結果は11.6ユーロのリターン。勝ちました。でも入場料とパンフレットで4.5ユーロかかってるから、マイナス。写真は当たり馬券w


30ユーロぐらいプラスが出た先輩にラーメンをおごってもらいました。


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ヒーロー見参。5kmベスト14分50秒台の男。

大学時代、箱根駅伝常連の駅伝部所属。


当時の5kmベスト14分50数秒。


そんな男がやってきた。僕の目の前に。


ヒーロー、見参。


***


その正体は、本社から来た新しい駐在員。


年は僕の10歳上。アラフォー世代。


2児のパパ。


家族を日本に残しての単身赴任。


ヒーロー、最近あんまり走ってない。


***


当時の練習内容をちらっと聞いてみた。


「毎日朝練で、10kmビルドアップ。」


ふむ。普通だ。


「35分ぐらいで」


ぶっwww


「キロ4からスタートして、最後はキロ2:50とか」


おみそれしました。


***


そんなヒーロー、ちょっと練習する気になってらっしゃる。


8月に、会社のみんなで出る市民ランイベント、これに出る予定。


5kmのショートラン。激混みで、レースと呼べる代物ではない。


にしろ、走り出すきっかけとしては丁度良い。去年の僕と同じパターン。


うまくすれば、ボッチジョガー卒業、実力的にも経験的にも強い味方を得られるかもしれず。


まさに、ヒーロー見参、なんであります。


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ドイツがワールドカップ優勝した日、デュッセルドルフの様子

飲み屋周辺
デュッセルドルフの飲み屋のパブリックビューで観戦していました。


試合後はクラクション、爆竹、太鼓、ラッパ、嬌声。国旗をはためかせて爆走する車の数々。こわいぐらいの盛り上がり。


この瞬間をドイツで迎えられたことを幸運に思います。普段サッカーには疎いにわかファンですが、試合は楽しめたし、これも一つの文化体験。


きっと将来思い出すのでしょう。2014年の、ほらドイツがワールドカップで優勝した年、僕はドイツにいたんだと。


アルトビール
デュッセルドルフ名物、アルトビール。その名も「古いビール」。これがうまい。試合開始時の気温20度。しょうしょう肌寒く、ビールで暖めながらの観戦。


パブリックビューで観戦中
パブリックビューで観戦中の皆さま。日本人もたくさん。アルゼンチン応援団も少数ながら。


選手入場で盛り上がる
選手入場。湧き上がる歓声。


国歌斉唱で起立するご老人
国歌斉唱で立ち上がるご老人。


試合終了の瞬間
試合終了。ドイツ優勝決定。


国旗を掲げる老人
国旗を掲げる老人。試合終了後、ちょっと身の危険を感じるほどの街の盛り上がりの中で。


爆走する車から身を乗り出す若者
クラクションを鳴らし、爆走する車から身を乗り出し、国旗を掲げる若者。


夜12時ごろ帰宅。鳴りやまぬクラクションの嵐の中、眠りについたのでした。


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